Statement(日本語)

さあて、今日のご気分は?

トンネルを抜けると、視界は急に、青く広がる。

小樽築港から銭函まで、通勤列車は海沿いを行く。

日々、装いを変える気分屋の海。

この情景を残したいと思った。

通勤列車の車窓から。

構えることなく、心もラフなままがいい。

だから、iPhoneで撮ろうと決めた。

窓の汚れはアートフィルター。

雨のしずくも、みぞれも、PM2.5も。

青い海。黒い海。

何かがいる海。誰かがいる海。

苛立ちも、穏やかさも、その愛の深さも。

今日の海の、在り様が、好きだ。

今日の私の、在り様が、好きだ。

観光地としても人気の高い私の住む小樽は、職場のある札幌からも、電車で40分ほどの海と坂、運河と歴史的建造物の美しい町です。

 ところが、そんな憧れの地に引っ越してみると、そこは道内でも有数の豪雪地。暮らすには、ちょっと過酷な町でもありました。

 車窓から望む海を撮り始めたのは、札幌までの通勤時の私の身体を案じる家族のためでした。

 かつて東京に住んでいた時には、ぎゅうぎゅう詰めの満員列車での通勤が当たり前。

 陽の注ぐ海、陽の落ちる海を眺める通勤なんて、とても贅沢なひとときだとは思いませんか。

 そんな美しい海の写真をみせてあげたいと思ったのです。


 今ではすっかり日課となった通勤時の撮影も、当初の撮影頻度は多くはありませんでした。それは、窓の汚れや薄灰色の海が美しいと感じることが出来ず、写欲がわかなかったからです。

 ところがある時「窓が汚い」と愚痴まじりに投稿したSNSとに、友人がこんなコメントをくれました。


「JR北海道(アート)フィルターだって思ったら?汚い窓も、乗ってる気分で、とても楽しい ♪ 」


私は、強い衝撃をうけました。

" 劇的な " 風景を、クリアなレンズと高画質なカメラで "切り取る" ことばかりを望んでいたのだと思います。無意識のうちに、恰好の良い、ドラマチックな写真でなければ、感動を与えることは出来ないと思っていたのかもしれません。

 

 昨年、2017年の初夏。私は癌の宣告を受けました。

 

 その後、2度の手術と抗がん剤治療の甲斐もあり、幸いにも今、私の身体の中に癌はありません。

 「死ぬまでに一度は…」と、誰もが大きな何かを望むのかもしれません。けれども、病床にあって願ったことは、ただ "日常" を取り戻すことでした。手術のあとで、必死に立ち、歩いたのは、映画で観るように「死ぬまでにやりたい10のこと」をやるためではありませんでした。

 『 THE SEA - 車窓から - 』の完成のため、10か月に及ぶ治療期間中も、入退院の間には" いつものように" 出勤し、車窓からの景色を撮影し続けました。私を"日常"に戻してくれたのは、家族と友人、そして、この海でした。

 そうして完成したのが、特別な1年の、まったく特別ではない、ただの"日常"を収めた本ポートフォリオです。

 

会社に行って仕事し、すばらしい友と集い、温かい家で家族とちょっとの贅沢をする。春、雪がとけて花が咲き、暑い暑いと文句を言って、短い北海道の夏は過ぎる。そして、長い長いモノクロームの季節がやってくる。

 季節はめぐる。 ただそれだけの日常の、なんて美しいことでしょう。


Life is beautiful !!


 車窓から眺めた海の景色は、時々、だれかの" 日常"と交差しています。海岸で手を振るだれかの"日常"と。

 00:00:00 00:00.000…の海は、 今、私の時間と心とを介して、淡い水彩画のように思い出されるのです。


2018年リラの頃に

山本 眞紀子